日常生活

気楽にオペラコンサート!


新橋のアルテリーベというレストランでオペラ歌手によるコンサートを楽しんできた。神田さやかさんと伊藤さやかさんの「Wさやか」のコンサート。オペラというとオペラホールで改まって聴くイメージが強いが、食事をしながら気楽にオペラを楽しむというのも素晴らしい。何といってもすぐ目の前で歌っているのであるから・・・

ギャラリー桜の木さんのコンセプトも「絵画を日常に」である。オペラも絵画もそしてダンスも日常の中で気軽に楽しめるような文化をつくっていきたいものである。

 

私は社交ダンスを習っているが、食事に行った時にダンスを気軽に踊れるような場所はなかなか見つからない。日本人にとっての社交ダンスとは競技ダンスのようだ。ヨーロッパのダンスパーティーで日本人が競技のようにダンスを踊るのはひんしゅくもののようだ。

 

今ない文化は自分達でつくっていくしかありませんね。

 


4月 1st, 2015|

「考える」ということ(ネルソン マンデラ)


私は日々の生活を通してさまざまなことを考える。考えたことを行動に移し、また考える。考えと行動が切っても切れない関係である。

ネルソン・マンデラのことが気になった。獄中に籠って、悟りをひらくように、ただ考えていたのだろうかと。調べてみると、獄中でも監視の行動を観察したり、話しかけたり、さまざまな行動をしながら考えていたのだと分かった。


1月 19th, 2015|

「知る」ということ(東山魁夷展を観て)


私たちが普通に生活している中で、「知る」ということは、極々表面的なことを知るにすぎない。日本橋三越で東山魁夷展を観た。有名な絵画は何度も観ることはあっても、どんな人物で、どんな人生を歩んだのかは知らなかった。本当に知るためには、積極的な行動(行為)が必要なのだと思う。氏の使った何とも美しい顔料を観たり、氏が世界を回りながら集めたコレクションをみたりして、東山魁夷の人物が少し分かった気がした。絶対に買う事はあり得ない画家の作品と思っていたが、氏が監修した木版画やリトグラフがあることも分かった。

行動しながら得る本当の知識を増やしていきたいものである。


1月 19th, 2015|

IT教育はプログラミング教育


昨日、LCAのITを担当していただいている会社の新野さんからIT教育で大切なのはプログラミングだという話を聞いた。

保育園でiPadを使わせていることが、さも良いことのように取り上げられているテレビ番組があったが、私は違和感を覚えていた。幼児期に必要なのは五感を通した体験だからだ。iPadの使い方など放っておいても今の子どもたちは身に着ける。

「プログラミング」と聞いて心の靄が晴れた気がしていたら、今朝の産経新聞に「プログラミング強国へ教育を」という東京大学教授の坂村健氏の記事が載っていた。いつも物事は驚くほどタイムリーだ。

坂村氏曰く「今世界でコンピューターを利用した技術革新を主導しているのはプログラミングの専門家でなく、プログラミングできるその分野の専門家になってきている」

日本でこの教育を取り入れるためには学習指導要領の書き換えが必要なので、今決断しても10年後になるという。ITの世界は普通の7倍で進化していると言われているので、一般の世界では70年かかることになる。

2000年にこの教育を指導したイスラエルには遅れをとるばかりだ。


7月 31st, 2014|

原発ホワイトアウト


霞ヶ関の現役官僚が書いたとされる「原発ホワイトアウト」。ぜひ沢山の方に読んで欲しいと思う本だ。

ニュース番組などでよく街角でインタビューをして意見を聴いているが、答えている内容は

ニュース番組でコメンテイターが言っていた台詞そのままであることが多い。

私たちの考え方はテレビに影響を大きく受けているのだ。

テレビや新聞の情報は、スポンサーの影響を受けて偏っていることは知っておいた方が良い。

物を考える時には知識や情報がどうしても必要だが、その情報をどのように得るかがとても大切なのだと思う。

現場に行って様々な人に会って直接話を聴く、さまざまな本を読むなど、テレビや新聞以外の情報を

得ることが大切である。

問題は多くの人々がそのようにしないと、結局大多数の考え方は操作されてしまうことになる。

現代ではTwitterなども利用の仕方で貴重な情報源になり得ると思う。

自分で情報を得て、情報を吟味し、自分で考える人が増えていかないと、本当に豊かな国にはなれないだろう。


4月 4th, 2014|

「引き寄せの仕組み」2


「人生が好転する『引き寄せ』のしくみ」水谷友紀子著 を読んで

 

人生ではその人が本当に思っていることが実現するというのが「引き寄せの法則」。

ただ、人間の頭には1日に6万もの「思い」や「考え」を発信していると言われている。意識して「思っている」こと以外に無意識で思っていることがたくさんあるのだ。

だから、潜在意識からの「思い」でなければ、引き寄せたい思いは引き寄せられない。

「『頭』と心が戦う時、勝つのは『心』の方だ」という著者の言葉が印象的だった。

 

潜在意識は「良い」「悪い」の判断が一切つかない、潜在意識は否定形を認識しないと著者は言う。付け加えれば、潜在意識は主語をも認識しない。

良い・悪いに関係なく頻繁に思うことが潜在意識に届いてしまう。「花粉症になりたくない」と思っていると「花粉症」という言葉が潜在意識に届くし、「あの人は意地悪だ」と思っていると「意地悪」というメッセージが潜在意識に届き、潜在意識はそれを実現しようとする。

 

私たちが「幸せ」を願う時、それを阻害するものがある。それは、今までに刷り込まれた価値観だ。たとえば「幸せのあとには不幸がくる」「幸せは長くは続かない」など。「幸せ」の真っただ中で、幸せを享受すること、享受できることが大切なのだ。

 

正に。楽しめば「楽」あり、苦しく思えば「苦」ありだと思った。


1月 20th, 2014|

「ワシとイノシシとネコ」


ラ・フォンテーヌの寓話に「ワシとイノシシとネコ」という話がある。

 

森の中に一本のカシの古木があって、三つの空洞には、いちばん上にワシ、真ん中にネコ、いちばん下にイノシシが、それぞれテリトリーを分けて一家を構え、平和共存していた。

ところが、ある時、ネコが邪心を起こして古木を独り占めしようと考え、不埒な考えをワシとイノシシに別々に吹き込んだ。

すなわち、ネコはまずワシの母親のところに行き、イノシシが悪だくみをしているから気をつけろと、こんな風なことを忠告した。

「あんた知ってるの?下のほうで、あのイノシシの奴が土をほじくり返して穴を掘っているのを。たぶん、このカシの木を根もとから倒すつもりなんだわ。木が倒れれば、わたしも子どもたちもみんな死んでしまうのよ。あいつの餌になるってことだわ。子どもが死んだら、あなたどうするの?わたしなら生きてはいけないわ」

こうしてワシの母親を不安に陥れたあと、ネコはまっすぐにイノシシの母親のところに飛んでいった。母親は子どもを産まんばかりだった。

ネコは声をひそめて囁いた。

「あなたのためを思って教えておくわ。この木の上にワシの一家がすんでいるでしょ。そのワシがあなたの赤ちゃんを狙っているのよ。あなたが餌を探しに外に出たすきに、赤ちゃんをさらっていこうとしているのよ。いいこと、この知らせは誰にもしゃべらないでね。でないと、ワシから恨まれるから」

 

こうしてネコは両方の家に恐怖を振りまいてから、ニンマリとして自分の家に戻っていった。いっぽう、ワシとイノシシは留守の間に子どもがさらわれてしまうかもしれないと思い、餌をとりに外に出かけることができなくなった。

そのために餌のストックが尽き、飢えで子どもたちは死んでしまった。

そして、悲しみのあまり母親たちも死んだ。おかげで、ネコは両方の家を自分のものにすることができ、悠々と暮らし、子孫も繁栄したとさ。

 

この寓話のようなことは、身の回りでよく起こっていませんか?

日本式の教育では「ネコのようなことをしてはいけません」となるが、フランス式では、ネコのような人がいるので、決して騙されてはいけません」となる。

ネコは親切な良い人の顔をしてあなたに近寄ってくるので、ご用心を!


1月 8th, 2014|

人生が好転する「引き寄せの仕組み」を読んで


30歳を過ぎた頃、腰を悪くして自分で考えられるあらゆる治療をして治らず、最後にたどり着いたのがカウンセラーだった。

そこで自分の考え方や思いが体に影響していることに気づいた。そこで私が学んだことの一つは「思っている事とやっていることを一致させる」ことだった。その後はひたすら思いと行動を一致させるように生きてきた。

 

今回読んだ『人生が好転する引き寄せの仕組み』では「頭で思っている事と心が感じている事」の一致が大切だと言っている。強く願えばそのことは実現するというが、頭だけで思っても心からそう思っていないと駄目だということだ。

数々の成功本(?)が「思えばかなう」と言っているが、読んだ人が皆そうはならないのは「心から」というところが難しいからなのだろう。


12月 22nd, 2013|

「あきらめる」健康法を読んで


思いを実現するには「あきらめる」という言葉がキーワードだと思っていた。もちろん「諦めない」ことが大切という意味で。

ところがこの本のタイトルは「『あきらめる』健康法」!田原総一郎さんが推薦していたこともあって購入した。

「あきらめる」には「諦める」意味もあるが、「明らめる」という意味もあるのだという。物事を明らかにするという意味だ。

著者の本意は「あきらめる」ことが「真のあきらめない勇気」を後押しするといことだった。

そう言われてみれば、自分でもそのような体験を沢山していたことに気づいた。小さなことでは、上手く繋がらないお風呂テレビを諦めることで、新しいお風呂テレビと出会い、今は満足して使っている。さまざまなことを試みてもうこれはダメだと諦めたから新しいテレビを買えたのだ。でもお風呂でテレビを見たいという事は諦めていないのだ。

ピアノを習っていて、お稽古に通うことを諦めて自分に合った新しい先生にも出会えた。

だめなものは駄目だと判断し、大きな目標に向かって新たな道を進み始める。

この本によって「あきらめる」という事に関して、自分の物の考え方が「明らか」になった。


12月 22nd, 2013|

AliceのIt’s a Time ~時は今~


テレビをみていたらAliceが唄っていた。

 

夢を抱けと教えてくれていた

そんな大人が いつもそばにいた

 

願い続ける志だけが

次の扉を開く 鍵になる

 

俺たちの失敗は 競い続けて 生きたこと

勝ちも負けもないことに 気づけないままに生きたこと

俺たちの失敗は その場しのぎで いきたこと

やさしさとは 強さだと 気づけないままに 生きてきたこと

 

と タイトルは 「It’s a Time  ~時は今~」

 

「正しい」とか「間違い」とか「良い」「悪い」ではないと普段

言っている私に

「勝ちも負けもないことに・・・」という言葉が強く響いた。

そう!勝ち負けではないのです。


11月 22nd, 2013|