Yearly Archives: 2011

スポーツで人間性は育つのか


 スポーツで素晴らしい功績を残した人が、モラルに反した事件で、新聞やテレビのニュースで世間を騒がせることが少なからずある。スポーツでは人間性は育たないのだろうか。
 昨年の高校野球で春夏優勝した沖縄の興南高校の理事であり、野球部監督の我喜屋氏がロータリークラブで講演した時の原稿を読んだ。
 残飯だらけの寮の食事、夜遅くまで起きていて、朝起きられない生徒たちを目の当たりにした我喜屋監督が最初にしたことは、選手達の生活の見直しであった。「心から直していこう」と。
 中でも面白いと思ったのは、朝の散歩だ。監督の言葉はこうだ「散歩というのは研修でもよくやります。これには落とし穴があるのです。先頭の人は目標を見て歩きますが、二番目から後ろはただ連れられている状態で、五感を活性化しながら歩くということが薄れてきます。ですから、ばらばらに歩きなさい、目標は自分で決めなさいと言いました。そして、見てこいよ、聞いてこいよ、触れてこいよ、においをかいでこいよ、と。五感を通して情報を集めてこい、その後、1分スピーチが待っているよ。誰にあてるかわからんぞ・・・・」
 一人ひとりに主体的に生きるということを伝えている。五感で情報を集め、感じ、考え、表現し伝える「生きる力」だ。
 その他、監督が言っていることは、相手への気配りと心の豊かさであった。心の豊かさについて、優勝旗に次のように語らせている。
「僕を連れて行ってくれるにふさわしいチームしか僕はついて行かない。でも、野球だけじゃだめだよ。心も備わってなきゃだめだよ。地域と一体感はあるの?僕が行った時、みんなが喜んでくれるの?」
 監督の思いが本当に生きてくるのは、選手たちが社会に出てからだろう。スポーツでも勉強でも、指導者の心に「豊かな人間を育てる」という思いがあるかどうかが問われるのだと思う。


12月 20th, 2011|

電動アシスト自転車


今年は紅葉の時期が遅く、どの寺も紅葉が始まったばかりだったが、自転車の快適さがその穴を埋めてくれた。紅葉の時期の京都は車の渋滞がひどいので、ホテルで貸していた電動アシスト自転車を借りて京都の寺を回った。
 帰って来て、さっそく電動アシスト自転車を買った。最初の休日は森のピザ屋「ドリームファーム」まで2時間かけてピザを食べに行った。今までは上り坂が恐ろしく自転車で行こうとは思わない場所だった。電気の力を借りてもやっと辿り着いたという感じだったが、ピザを頬張る自分が誇らしかった。
次の週は越して来て1年少し経った相模川近くの家の周りを散策した。今まで知らなかった世界がそこにはあった。河原でラジコンのヘリコプターを飛ばす人、フナ釣りをしている人、それぞれの楽しみがそこにあった。家は平均して面積が大きく、人々がゆったりと豊かにくらしているように感じた。
 翌日は車で自転車を都内に運び、皇居の近くを走った。(さすがに平坦なところなので電動自転車は持っていかなかったが・・・)皇居の内堀通りでは歩行者天国ならぬ、「自転車天国」を実施していた。片側3車線4車線の道路を通行止めにして自転車に解放しているのだ。車を気にせずに高層ビルと皇居付近の紅葉を楽しみながら走れるのは、快適であった。皇居の周りを色とりどりのウエアーで走るランナー、散歩を楽しむ人、家族で自転車に乗る人と、さまざまな休日がそこにはあった。
 これらの経験は、すべて京都で電動自転車を借りてみようという思いから始まっていると思うと人生の面白さを感じる。ちょっとした決心でどんどん変化していく人生。思うことと実行することで人生はできているのだと改めて実感する。


12月 14th, 2011|

子どもを信じる


子どもの言ったことはすべて信じることが大切だと思っている方がいらっしゃる。子どもたちは大人に様々な言葉を投げかけ、大人がどう反応するかを試している。その反応を見て自分の行動を決めていく。おとなが何でも言ったことを信じるのだと思えば、都合の良いことを言って、ごまかす術を身につけてしまう。一度子どもがこれを身につけてしまうと、親は子どもの本当の姿を知ることができなくなる。子どもはいつもごまかしながらの人生を送るようになる。
子どもが何でも言える環境をつくること。子どもの抱えたトラブルを受け止め、子どもと一緒に解決への道を探ること。お父さんもお母さんも必ず一緒にいることを知らせることが大切なのだ。
子どもの言葉を簡単に信じるのではなく、きちんと見極め、ごまかしや嘘は通用しないことを知らせることも、優しさなのだと思う。


12月 14th, 2011|

「英語村」視察


 森を背景にモダンな大学の校舎のような建物が目に入った。遠くにはペンションのような宿舎が並ぶ。サッカーコートやスイミングプールもあった。これが、韓国が国を挙げて取り組んでいる「英語村」の外観だった。
 建物の中に入ると、郵便局のブース、空港のブース、グローサリーストアーのブースと40以上のブースがある。英会話のテキストがそのままブースになっていて、ここでネイティブの教師が指導し、実際の英語の会話を身につけられるようになっている。
 学校が児童を連れてきて利用するほか、週末は個人的にも利用できるようになっていた。
 私も英会話スクールを経営していたころ、同じく「英語村」と銘打ってイベントを企画していた。教科書で学ぶだけでは物足りず、実際に使う場面を作りたかったからだ。もちろん個人のスクールだったので、イベントとして年に1~2回行っていただけだった。それを韓国は国がお金をかけて施設を作って、民間が運営する形で実現している。
 日本ではやっと今年度から小学校で年に35コマの英語の授業がはじまったばかりだ。内容も国際理解であって英語を学習する形にはなっていない。
 日本が今の韓国のレベルで英語教育に取り組める日がくるまでにはまだまだ相当な時間がかかるのだろうと思ってしまう。


10月 28th, 2011|

作文の書き方と記憶のメカニズム


 一般的な記憶のメカニズムは、感覚記憶→短期記憶→長期記憶であるとなっているようだ。感覚記憶とは感覚器官から入ってきた情報で必要なものを短期記憶に送って消えてしまうように書いてある。「ア」「ウ」という音を「合う」なのか「会う」なのかと判断し、意味を持たせて短期記憶に残すということだろう。短期記憶も短期の貯蔵しか出来ないので、反復するなどの学習をして長期記憶に残す。いわゆる「勉強ができるようになる」という意味での記憶はそれで説明がつくのかもしれない。
 しかし、私たちは一度行った場所に偶然行くと、前に来たことがあると思うことがよくある。映像が脳に残っていたとしか思えない。感覚記憶の中でも聴覚の5000倍あると言われる聴覚細胞は見たことを全て脳に残しているのではないか。きっかけさえあればその映像を呼び起こすことができるのだ。
 学問的なことは学者さんにまかせるとして、私がここで取り上げたいのは作文を書く時の脳の使い方である。感覚記憶から短期記憶に移行する段階で言語化するとその情報は圧倒的に少なくなってしまうという。だから言語を使って過去を思い出そうとすると、きわめて少ない情報しか思い出せないことになる。「その時どう思ったの?」と質問されても、その時には気持ちを言葉にしては残していない。言語で思い出して作文を書くと、情報が少なく個性もない薄っぺらな表現になりがちなのはこのためではないだろうか。映像で過去を思い出し、映像を後から言葉で表現する方法を使うと、表現できる情報が比べ物にならない程多いので、厚みのある豊かな表現が可能になる。私が「見たこと」にこだわって作文を書くことを勧めるのはそのためである。
 見たこと作文については拙著「100字日記で勉強のできる子を育てる」を参照してください。


10月 11th, 2011|

無条件の愛ー「光になった馬」を読んでー


 歌手であり、またセラピストとしても活躍しているEPOさんが「光になった馬」という絵本をだしている。この絵本がラジオで朗読され話題になっているというので、早速買ってみた。3匹の馬の兄弟の話である。一番上の兄さん馬は走るのがはやく、競走馬となり活躍し、2番目の兄さん馬は力が強いので荷物運びで活躍する。3番目の馬は体が弱く何の取り柄もないので、自分が何の役にも立てないことを心苦しく思っていた。ところが3番目の馬が天国に召される時に、冷たくなって横たわる自分の姿を見て、自分がいかに皆から愛されていたかを知って涙するという話である。
 この話は、愛されていた側の話であるが、最近の子育て事情をみていると、何かができるから愛するのではなく、あるがままの子どもを無条件に愛することの大切さをしみじみ感じる。
 無条件の愛を受けて育つことが、愛情深い子を育てる唯一の方法なのだから・・・


10月 10th, 2011|

子どもの褒め方


  逆上がりを一生懸命練習してやっとの思いで出来た時「良くやったねー!すごいね!」とほめてあげる。でも、もっとほめてあげたい子どもがいるのだと朝会で子どもたちに話した。それは、まだ出来ないのにそれでも頑張り続けている子だ。努力が実った時にほめることはもちろん大切だが、結果がでないのに頑張っている子に目を向け、その子の努力する姿に感動を覚えることは、ややもすると忘れがちである。
 世の中に出ると、努力をしてもすぐに結果が得られないことの方がはるかに多い。それでも努力し続け工夫し続けているから、ある時、結果がでているのだ。
 先日LCA国際小学校のスポーツデイ(運動会)があった。リレーでゴールが最後になった最終ランナーが全力で走った姿が嬉しかった。閉会の挨拶でその事に触れた。落胆していたリレーのランナーに私の言葉がどこまで伝わったか分からないが、私の心からの言葉であった。


9月 24th, 2011|

小学校英語


 小学校からの英語教育に反対する方がいる。反対の理由は国語が大切であるからと言う。国際人としての基本は、国語力があり、自国の文化や歴史を良く知っていることだという。お説ごもっともである。
 しかし、英語教育をすることがなぜ短絡的に国語を疎かにすることになるのだろうか。英語と国語のどちらが大切かといった対立概念での思考は卒業しなければならない。国語力が十分にあり、自国の文化にも歴史にも精通した子どもが、英語も出来れば何の問題もない筈である。
 今まではそのような実績がなかったから反対する方もいたのだろう。しかし、LCA国際小学校に通う子どもたちは、国語力も十分に付けたうえで英語イマージョン教育により英語力も付けている。英語だけできれば国際的に通用するなどと端から思っていない。
 小学校では授業の改革がまだまだ可能で、英語も国語も芸術も体験型教育も同時に身につけていく可能性があるのだ。そこまで考えた上で、英語教育を語ってほしいものだ。


9月 24th, 2011|

国際人が育っているー英語劇を観劇してー


  イギリス人4人の劇団ホワイトホースシアターが学校に来て、英語劇「The Weasel in the Sack」を演じた。英語の劇なので、日本では中学生以上が観劇することが普通のようだ。英語を聞きとることに必死のためか、日本人の特性か、劇を演じても反応がない。ヨーロッパで演じた後日本にやってきた劇団員は反応のなさに焦ったという。ところが、LCAでは幼稚園生も小学生も、ジョークに笑い転げ、「悪者がそこに隠れている」と主人公に英語で告げる。劇の中に完全に入り込んでいるのだ。この反応はヨーロッパの子どもたちの反応に近いという。「ここは本当に日本の学校なのか?」と劇団員に驚かれた。
 LCAでは英語イマージョン教育を取り入れ、英語で教科を指導している。いわゆるインターナショナルスクールとは違い、日本人を対象に日本人として教育しながら英語を使いこなせる子どもたちを育てている。英語力のみならず、感性も国際人になっているのだと確認でき、子どもたちを誇りに思えた。


9月 14th, 2011|

良いコミュニケーションのために!


美術家の横尾忠則氏が、インタビューに答えて「対立概念を卒業しよう!」と言っていた。私もその通りだと思う。LCAの教育の中でもどちらが正しいかではなく、コミュニケーションをとって、どちらも納得できることが大切だと伝えている。
喧嘩があってもどちらが正しくどちらが悪いのかではなく、お互いの気持ちを伝えあい、解決方法を考えるように導いている。
そういう意味でディベートはあまり好きではなかった。ディベートが相手が何と言おうと、ある決まった立場からだけ意見を言い通すだけに終わる可能性があるからだった。ところがある時LCAでディベートをしてみたら児童たちは私の思いを遥かに超えて、勝ち負けにこだわらず、ディベートを通して物事を両面から見ることができるようになり、その先に自分の意見は意見として持てるまでに成長していた。
これからの教育では、対立概念的な考え方を卒業し、コミュニケーションを通して先に進める人材を育てていきたいものである。


8月 20th, 2011|